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カーネル・サンダース

「カーネル・サンダース」

 

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「カーネル・サンダースと言えば、ケンタッキー。彼が生涯で40回以上の転職と、何度も経営難の挫折から立ち上がったという話はあまり知られていません。」

 

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「かなり壮絶な人生ですね。」

 

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「いま苦難・困難に直面している人に、きっとカーネル・サンダースの生き方は勇気になると思います。」

 

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「ケンタッキーの前にいるおじいちゃんの見方が変わりそうです。」

 

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「実は、カーネル・サンダースは後から呼ばれた名前であり、本名はハーランド・デーヴィッド・サンダースといいます。6歳でお父さんを亡くして家庭が貧しかったため、働き始めたのは10歳です。」

 

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「幼い頃から苦労されているのですね。」

 

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「農場で働きながら学校に行きましたが、14歳で学校を退学します。そこからは電車の運転手として働いたり、軍隊で1年間働いたり、鉄道のボイラー、保険の外交員、商工会議所の事務員、タイヤの営業など、転職回数は40回以上です。40回以上の転職を繰り返した後に、ついにカーネルは『これだ!』と思う職業に巡り会います。彼にとっての運命の職業、それはガソリンスタンドの経営でした。知り合いに、ガソリンスタンドの経営をやってみないかと言われて、初めてここで経営者として独立します。」

 

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「ガソリンスタンドとフライドチキンが繋がりません。」

 

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「当時、一般的にはガソリンの給油料金だけで儲けるガソリンスタンドが多かった中、サービス料金の発生する窓ガラスの清掃・ラジエーターの水やタイヤの空気圧の点検など、多岐にわたるサービスを展開しました。今、ガソリンスタンドは給油以外のサービスで利益を生み出すのは当たり前ですが、その基礎を作ったのはカーネル・サンダースではないかと言われています。 」

 

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「ガソリンスタンドの経営はとてもうまくいっていたのですが、1929年、ニューヨーク株式市場の大暴落という世界大恐慌が起きてしまいました。これが、彼を苦しめます。なぜなら、農家さんにガソリンを後払いで売っていたからです。農家さんの農業器具のガソリンを先に提供して、後からお金を払ってもらう仕組みでした。しかし、恐慌の際中に干ばつまで起きてしまい、農家が壊滅状態となりました。当然、後払いの約束だったお金も回収できません。そしてついに、カーネルのガソリンスタンドも倒産してしまいます。」

 

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「倒産してしまうのですか?」

 

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「そうです。ただ、サービス精神が旺盛だったカーネルの経営は高い評価を受けていたため、大手のガソリンスタンドのシェル石油からガソリンスタンドの経営を持ちかけられました。カーネルは、それを喜んで引き受けます。さらに、もっとサービス精神を発揮したいと考えて、ガソリンスタンドの敷地内にカフェをオープンしました。」

 

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「フライドチキンの香りもしてきました。」

 

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「このカフェの料理はカーネル自身が作り、料理が非常に評判となりました。ガソリンスタンドの敷地内では足りずに、170席以上の大きなカフェを作り販売することになります。カーネル・サンダースのガソリンスタンドとカフェレストランは絶大な評価を受けて、ケンタッキー州から、ケンタッキー・カーネルという名前を得ます。カーネルが45歳の時です。フライドチキンの製法を弛まぬ努力で研究し続けて、現在のケンタッキーフライドチキンにつながる絶妙なスパイスとハーブの調合を発見しました。そしてその絶妙に調合したチキンを最新式の圧力釜で調理して、非常に美味しい商品を生み出しました。しかし、悲劇は繰り返されます。」

 

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「悲劇ですか。成功の波に乗って、上手くいっている気がしますが。」

 

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「なんと、レストランが火事で全焼してしまいました。」

 

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「悲劇ですね。」

 

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「カーネルはモーテル(車庫付きの簡易な宿泊所)を持っていたため、それを売却して、銀行から追加融資を受けます。そして、ガソリンスタンドの営業は止めて、レストランの営業だけを再開しました。カーネル51歳、再々スタートです。ところが、このレストランがオープンした国道に迂回路ができてしまい、店舗前の交通量が激減して、赤字になってお店が倒産。65歳でお店が潰れてしまいます。」

 

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「本当に激動の人生ですね。私なら、心が折れそうです。」

 

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「65歳と言えば、日本では定年退職の歳ですが、カーネルには老後暮らしていくだけのお金がありません。ここで追い詰められたサンダースの、不屈の闘志に火が付きました。」

 

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「火が付きました。」

 

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「お金はない。店もない。しかし試行錯誤の末に完成させたフライドチキンのレシピが俺にはある。そう言って、このレシピを沢山のレストランに売りに行くという、世界で初めてのフランチャイズビジネスに踏み切ります。自分の車に圧力釜とフライドチキンを積んで、全国のレストランを回りました。車の中で寝泊まりをしながら、とにかく飛び込み営業をし続けました。お店の裏口で働いている人にフライドチキンを食べて頂き、『どうかフライドチキンを取り扱って頂けないでしょうか』と頭を下げ続けました。カーネル・サンダースは1,000店舗全てに断られて、1,001店舗目でようやく契約を結んだ。という話もあるくらい、とにかく営業し続けたのです。」

 

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「すごい忍耐力ですね。もういい歳ですよね。頭が上がりません。」

 

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「地道な営業活動により、少しずつフライドチキンのお店がオープンしていきました。74歳でフランチャイズを売却する時には、600店舗。そして、その後も広報担当者としてカーネル・サンダースが全世界を巡り歩き、90歳で亡くなる時には、ケンタッキーフライドチキンはなんと6,000店舗以上オープンしていました。」

 

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「さて、改めて振り返ると、カーネル・サンダースが、今のフライドチキンの販売に全力で取り組み始めた年齢は65歳。成功したと言われたのは74歳。人生の集大成として挑戦したケンタッキーフライドの大成功を収めるのに9年の歳月が掛かりました。いま苦難・困難に立ち向かわれている人はどうでしょうか。まだまだ私たちは、いくらでもチャレンジできるし、いくらでもやり直しができます。カーネル・サンダースは、そんな事を私たちの心に刻んでくれているような気がします。」

 

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「チャレンジに年齢なんて関係ありませんね。お店の前にある、おじいちゃんの眼鏡は、もうイタズラできませんね。フライドチキンは、まさにカーネルさんの人生の結晶ですね。」

 

 

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