「本物の親孝行とは何か」
今回のキャスト♫
🐥近江の孝子
🐹信濃の孝子
🐰老母
🐻【その名は何といったか、今明確に覚えていませんが、近江の国に一人有名な孝子🐥がいました。信濃の国にまた有名なる孝子🐹がいると聞いたので、親しくその孝子🐹と面会して、
🐥
「如何にせば最善の孝を親に尽くすことのできるものか、一つ問い訊して(ただして)試みたいものだ。」
と志を懐き(いだき)、遥々と野越え山越えて、夏なお涼しき信濃の国まで、わざわざ近江の国から孝行修行に出掛けたのであります。
🐥
(正午過ぎになってしまった。家の中には、一人の老母がいるだけで、なんか寂しいものだ。)
🐥
「御子息はいらっしゃいますか。」
🐰
「山へ仕事に行ってる。夕刻には必ず帰ろうから、とにかく上がってお待ち下さい。」
近江の孝子🐥は、遠慮なく座敷に上がって待ってると、夕暮れ方に至れば、信濃の孝子🐹だと評判の高い子息殿が、山で採った薪(たきぎ)を一杯背負って帰って来られました。
🐥
(ここぞ参考のために、見ておくべきところだ。)
と、奥の室(へや)から様子を窺って(うかがって)おりますと、
信濃の孝子🐹は、薪を背負ったまま縁に腰を掛け、
🐹
「荷物が重くて仕様がないから、手伝って卸してくれ。」
と老母🐰に手伝わしている模様であります。
今度は、
🐹
「足が泥で汚れてるから、浄水(すすぎ)を持って来てくれ。やれ足を拭うてくれ。」
と様々な勝手な注文を老母🐰にするばかりです。
しかるに老母🐰は、如何にも悦ばしそうにしていて、信濃の孝子🐹が言うままに、よく倅(せがれ)の世話をしてやるので、近江の孝子🐥は
🐥
(誠に不思議なこともあるものだ)
と驚いていました。
そのうちに、信濃の孝子🐹は足も綺麗になって炉辺に座ったが、今度はまたあろうことか有るまいことか、足を伸ばして、
🐹
「大分疲れたから揉んでくれ。」
と老母🐰に頼むらしい模様であります。
それでも、老母🐰は嫌な顔一つせず揉んで行って(やって)るうちに、
🐰
「はるばる近江からの御客様があって、奥の一ト間に通してあります。」
と信濃の孝子🐹に語ると、
🐹
「そんならば御逢いしよう。」
とて座を起ち(たち)、近江の孝子🐥が待っている部屋にノコノコやって来ました。
近江の孝子🐥と信濃の孝子🐹が、かれこれ話し込むうち早や夕飯の時刻にもなったので、信濃の孝子🐹は、
🐹
「晩飯の支度をして客人に出してくれ。」
と、老母🐰に頼んだが、いよいよ膳が出るまで、信濃の孝子🐹は別に母🐰の手伝いをしてやる模様もなく、膳が出てからも平然と母🐰に給仕させるのみか、
🐹
「御汁が鹹く(からく)て困る。」
🐹
「御飯の加減が・・・」
と老母🐰に小言ばかりを言う。
そこで近江の孝子🐥もついに見かねて、
🐥
「私は貴公(あなた)🐹が天下に名高い孝子だと承って、はるばる近江より孝行修行のため罷り(まかり)出たものであるが、先刻よりの様子を窺うに、実にもって意外千万のことばかり。ごうも御老母🐰を労わらるる模様のなきのみか、あまつさえ老母🐰を叱らせらるるとは何事ぞ。貴公のごときは孝子どころか、不孝のはなはだしきものであろうぞ。」
これに対して、信濃の孝子🐹は、
🐹
「孝行孝行と、如何にも孝行は善行の基本に相違ないが、孝行しようとしての孝行は、真実の孝行とは言わぬ。孝行ならぬ孝行が、真実の孝行である。私が年老いたる母🐰に種々(いろいろ)と頼んで、足を揉ませたりするまでに致し、御汁や御飯の小言をいったりするのも、母🐰は息子が山仕事から帰って来るの見れば、さだめし疲れてることだろうと思い、『さぞ疲れたろう』と親切に優しくして下さるので、その親切を無にせぬようにと、足を伸ばして揉んで貰い、また客人をもてなすについては、さだめし不行き届きで息子が不満足だろうと思って下さるもの察するから、その親切を無にせぬため、御飯や御汁の小言までもいったりするのである。何でも自然のままに任せて、母🐰の思い通りにして貰うところが、あるいは世間に、私を孝子孝子と言い囃して(はやして)下さる所以であろうか。」
と答えました。
これを聞いて、近江の孝子🐥も心を改め、大いに悟り、
🐥
「孝の大本は何事にも強いて無理せず、自然のままに任せたる所にある。孝行のために孝行を力めて来たわが身には、まだまだ到らぬ点があったのだ。」
と気付くに至りました。】
☆参考文献
渋沢栄一『論語と算盤』興陽館